■ おとうと ぐすんと涙してみて、少し笑って、皆幸せだったねと思う。

■ おとうと ぐすんと涙してみて、少し笑って、皆幸せだったねと思う。

おとうと

おとうと

とんでもない弟という振れ込みの映画を見に行く幸運を頂く。
さて、チケットの先は、文化会館。
駐車場の狭い場所だと知っているので、違う場所から歩く事になる。

想定内の出来事は、心に負担が無い。が・・・
予想外の会長の言葉等がある。そうだよね、文化的活動の一環だものね。
想定内の出来事の一つなのだろう。

不思議で面白い配役。端役で出てくる人たちのイキイキした表情が実に楽しい。
面白く、楽しく、重い雰囲気を払拭する。
ああ、だから、この人がいるのだろう。そう思って見ている。

本当にダメ人間だと心から思っているおとうとと、周囲の人。
このダメさをゆるやかに許していく姉。と言うより母かもしれない。

出来の悪い子ほどかわいいとはよく言ったのだと思う。

このおとうとの人生の最後を見ると、人の幸せってなんだろうって思う。
おとうとは、終始、幸せだったのかもしれないと思わず思ってしまう。
最後の場所では、自分らしく生きなおして、そして死んでいくのだから。

これを見た時に、マザーテレサの最後の家を思い出してしまう。
誰からも見放された決して助からない人の為に、
「生きなおす場所と時間」を彼女は与え続けた。

「助からないと分かっていて何故彼に手当をし、薬を与えるのですか?」
そう聞いた人々にテレサは、
「彼が人として生まれてきて良かったと感じ、
人として死んでいくために、私の出来ることすべてをしているだけです。」
そう答えた。

人として生まれた事に感謝し、人として生き、人として死ぬ。
そんな小さな事が出来ない人々が世界にはたくさんいるのだろう。
マザーテレだは、その中に自分の道を見つけ、それを貫き通して生きた人である。

彼女自身何も持っていないが、誰よりも豊かに持っていた人だろう。
そんな気がしてならない。
本当に愚直で素敵な人だったのだろうと思う。

ふと・・・自分の死の刻を考えてみた。

インディアン(自然と共に生きる人々)は、
生まれた時には、皆が笑って出迎え、おぎゃ~と泣いて生れ、
死ぬ時には皆が惜しんで悲しみ、自分は満足し笑って死ぬ。と言う。

そんな死をインディアンは普通に持っている。
そして、そんな死を与え続けてマザーテレサがいた。
このおとうとの死も同じであっただろう。

人は生きて、生かされて、そして生き終わる。
そんな終わりを感じる映画・・・

今一度、生き直そうという私に必要だと思って見せてくださったのだと
つくづく感じる映画でした。

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