■ 古典であり、現代であり、うつつであり、ゆめであり・・・・

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あさきゆめみし

あさきゆめみし

「あさきゆめみし」を読ませていただく。
何故、今、この本なのだろう?と思いながら手に取り読む。

今無くなった時間を楽しむという情緒を眺めながら、
今なりにその一部をもっているのかもしれないと感じる。
ただ、時間のながれを自然の流れと一体化してみる事が難しいだけ。

光源氏のなんたるやを読むのだろうか?と初めは思っていたが、
どうも私の中では、そうでは無かったらしい。
恵まれた環境であっても、心の中に欠けたものを持つ悲しさがある。

さて、文学の面から見れば、本当にたくさんの人に読まれていた事が
本当にうなずける話である。この原作を書かれた方は私の若かりし?頃
からあるらしい。

今でも古さを感じないこの「あさきゆめみし」。
古典とは、私の人生でも決して古く枯れていくものでは無いのだと思う。
古典とは、枯れて尚、生き生きと感じられる鼓動を秘めている。

しかし・・・ギリシャ神話に至っても、いろいろな伝記にしても、
男女の営み、男女のたわごと、男女の契のあまり変わらない気がする。
とはいえ、それは、この年に至った私の感想であって・・・

今現在の若い人達の感じる所では無いのだろう。
光源氏物語を携帯小説で描き綴っている瀬戸内静寂さん。
彼女の半生もまた、激しく実直で有ったのだろう。

この新月を目前にこの本を読破すると言うあたり・・・
心の中の清算をほんの少しでもしたいと思っているのだろうか?
それとも、女性としての意識を全く失っている自分を少しは内省するのだろう?

いずれにしろ、激しさも苦しさも喜びも、かの在りし日の想い出となる。
今からでは、あの激しさの中では動けず、あの苦しさの中では朽ちはて、
あの喜びすら身に受ける事は大変な事だろうと感じている。

ゆっくりとゆっくりと紡いでいける事が出来るなら、それもまた・・・

この後は、マンガ版 源氏物語(上中下)でも読んでみようかな(^^)

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