■ 死ねばいいのに 帯に誘われて読んでみると・・・

■ 死ねばいいのに 帯に誘われて読んでみると・・・

アマゾンで見るのもいいかも~♪ 死ねばいいのに・・・

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おおよそ、こんな題名がついた本は今までは敬遠した。
ミステリーで有ろうと、ノンフィクションであろうと、
フィクションで有ろうと、ちょっと戴けない。

しかし、その帯に誘われて読んでしまう事となる。
6人の人に亡き人を尋ねる若者。しかし、話す事は自分たちの事ばかり
そう、人は、他人の事を話すときでも無意識の中自分の事を言う。

人は、自分の中にある言葉や感情、知識の中でいろいろ考え、
話をするのだから、当り前である。とはいえ、
人の事を見ていないのだろうか??と言われれば、少し違う。

人は、自分の中にあるもので有るものでしか、
人を表現できないだけで有る。

たとえば、数をやっといえる保育園児が、微分積分を見せられて
理解出来る事は「自分の知っている数字」だけであるように。
数字の大きさや記号などを理解する事が出来ないだけである。

さて、この本を読んでいると
たしかに・・・自分の事しか人は考えていないのだと思う。
自分の立場からしか表現できないみたいである。

その対比によって、より鮮やかに自分を浮かび上がらせる。
人と人は鏡となり、人を見せてくれるだとこんな所でも思う。

考えてみれば、「人の事」を言う時に「自分の価値観」を言っている。
それを知識としては知っていたが、本の中でそれを抉っているのが
何とも小気味よく可笑しかった。
なんだかんだと言いながら、
最後の5行を感じる為にこの一冊を読んでいた事をおかしく思う。

人は自分の価値観に無い物を恐れるだろう。
恐れ、おののき、そしてどの人々の行動は様々になるのだろうが・・・
目の前から消し去る事が「心の安定」安心につながるのだろう。

人によって、自分から距離を置いたり、攻撃的な行動で相手を押しだしたり
そんな風に見ていると、この本って、なんだか不思議な本であるのだが。
本の中で何を見、何を感じるかは、やはり自分の中にあるもので
決められるから、今の私の中で感じるものが全て自分なのだろう。

同じ本を違う人が読むと感想もそれぞれになる。
違う価値観を共有し、自分も大きくなりたいものだとふと感じた。

私は、違う価値観を学ぶために生かされているのだろうか?
そんな事を感じた本であった。

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